2019年夏に富士山往復に挑みましたが本8号にて大雨
の為、頂上まで断念しました。
復路は走って帰ってきたのですが、頂上まで行くことが
出来なかった為、コロナも落ち着いてきた2023年の今年の夏、
再度挑戦しました。
挑戦などという大きなことではないのかもしれません。
いや、そうでしょう。
これはただの遊びです。
また、掲示板などで心無いことを記されない為に前置きが
必要です。
「誰にでも出来る。」
そう記された通りです。
誰にでも出来ます。
なので、是非やって見せてください。
僕は分かっています。
大したことではないことも、この程度のことですら
うんざりする程疲れることも。
でも、残念ながら誰にでも出来ます。
3歳の頃、千葉県花見川区の団地に引っ越してきました。
5階の自室から毎朝、富士山が見えました。
「ここからどのくらいあるのだろう?」
幼少期の僕は、そんなことを考えました。
時は経ち、中学生になります。
中学校の校門は丘の上にあります。
部活を終えて、帰宅時の陽が沈む頃、夕焼けの中に映し出される
影絵の富士山が見て取れました。
溜め息が出る程美しいそれを見て、同様にそこから登ることを
考えました。
時は経ち、子供が出来ていつしか父子家庭になりました。
息子に自信をつけてあげたくて、幼少期からよく一緒に
走ってきました。
交通事故に遭い、リハビリ程度のそれであれ一緒に走って
きました。
中学生最後の夏、船橋から館山まで走ることにしました。
中学3年間での目標、銚子は前年走ってしまったからです。
上総湊で海に出た際、幼少期からの想いが順不同に走馬灯の
ようにフラッシュバックしたのです。
夕方、東京湾向こうに影絵になって富士山が映し出されたから
です。
「来年から富士山を目指そう。」
高校3年間の目標は自宅から富士登山になりました。
一年生の夏、麓富士山駅まで。
翌年に船橋から須走口登頂します。
一年余ったので、翌年は前年麓まで走った富士吉田口を。
高校卒業しましたが、登山道はあと2つ残っていたので、
富士宮口、御殿場口と翌年夏、翌翌年夏と船橋から走って
登りました。
その翌年、4年前の夏に往復に挑戦しました。
挑戦だなんて甚だしい。
たかが走るだけです。
でも、子供の頃に抱いた夢でした。
8号5尺まで登りましたが翌朝、大雨の為に断念せざるを得ません
でした。
自分だけ、登ろうとしたのですが、出来ませんでした。
悔しいので走って船橋に戻ったのですが、でも、頂上まで
行けていないので失敗に終わります。
いつか、そう思っていました。
今年、コロナ明け登山客に不安でしたが挑戦することにしました。
ええ、やっておかなければ次に進めないからです。
後回しにできません。
この生涯の目標は、父方母方のお墓を自分の足で参ること
です。
母方は宇都宮と近いのでいつでも出来ます。
問題は父方です。
和歌山県勝浦に立嶋家の墓はあります。
2冊目の著書「死にぞこない」の表紙にした父方の先祖が
そこに眠っています。
大したことのない人生です。
親に沢山迷惑をかけてきました。
こんな僕ですが、親孝行したいのです。
「この子を育ててよかった。」
親にそう思って欲しいのです。
元気ではありませんが、生きているうちに報告出来たらなと
思います。
15歳の時、夢のないキックボクシング 界に夢を描いて
高校進学せずにタイへ渡りました。
些細なことですが、思った以上やりたいのです。
この気持ち、最後まで。
そんな最後の富士山往復の動画です。
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